2017年12月21日木曜日

#12

 みなさんお元気ですか?
 私は2008年卒の岡田拓也と申します。

 今私は、野村證券株式会社に勤務しております。仕事は株式や投資信託・保険などを通じ金融面からお客様の問題を解決することです。

 昨年東京の支店から転勤して現在は富山支店に在籍しています。富山県は薬売りで有名な街であり、昨年から開通した北陸新幹線によって非常に観光で人気な地域であります。その中で、サラリーマンの方や退職者・企業オーナー・法人など様々なお客様を担当させていただき、日々変化する経済環境に対応して人生のパートナーになれるよう仕事をしています。

 私の仕事は非常に幅広く、資産運用に関してでは国内の上場する3000社以上の株式や海外企業の株式に投資をおこない、またそれ以外でも投資信託や債券などの商品でグローバルに運用をおこいます。状況や環境の変化によって変動していきますので、常に情報収集をしてお客様のお考えにあった商品をご案内できるよう努力しています。資産運用だけでなく、法人の財務の問題解決や事業承継または本業がさらに発展していけるようアドバイスなどもおこなっています。その中で、他の金融機関からも信頼していただき、「岡田くんが担当で良かった」と仰っていただけることが仕事のやりがいになっています。しかし、非常に大変なことは何度もありました。入社後、新規開拓で飛び込み営業を直ぐにおこないましたが、国内だけでなく外資系の金融機関との激しい競争やアベノミクス前の景気低迷期により始めは全く上手くはいきませんでした。知識面においても「株とは」という状況だったので何センチもある参考書を何冊も読みあさり、またそれ以外のお客様が興味のある分野についても必死になって勉強をしました。

 そのような中で、私が一番大切にしていたことは高校時代に学んだ「継続は力なり」です。どんなに結果が出なかったり、辛いことがあっても諦めることなく常に心に唱えて目標に向かって突き進んでいきました。結果が出るのに早い人もいますが、1ヶ月や半年・1年以上もかけて結果が出てくる人もいて、いつ花開くのか分からないことはたくさんあります。仕事での結果もですが高校の学業や部活の成績も同じことだと感じることが多々あります。今は結果が出ていなくても継続してチャレンジし続けることが大切だと高校時代を振り返って改めて感じます。


 卒業した今は在学生の活躍が何より励みになり「自分も負けてられないな」と奮い立たせてくれます。また、作陽ブランドが全国にもっともっと響き渡るとこができれば何より嬉しく思います。これからもそうで在り続けるよう皆さんの活躍を楽しみにしています。

2017年12月8日金曜日

#11

みなさん元気ですか?私は2012年卒業生、井口琢朗です。

今、私は津山市議会事務局に勤務しています。市役所に入庁して4年目になり、2つ目の部署になります。

公務員、その中でも市役所職員、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
議会事務局と聞いてどのような仕事をしているか、すぐに思い浮かぶ人は少ないと思います。そもそも議会とは市長など行政の執行機関と、選挙で選ばれた市議会議員とが意見を交わし、よりよいまちづくりを行うための話し合いをする場です。議会事務局はそのような議会の運営の手助けを行っており、入庁4年目の私には、非常に刺激的で勉強になる日々を過ごしています。

議会では、津山市が行っている事業・政策等ほぼ全てのことが議論されます。そこでは様々な意見を出し合い、議論を交わし、津山市をどのような街にするのかを考えます。まさしく津山市の中枢を担う場であり、津山市の為に、と強い思いを持った人たちが集う場所でもあります。
その場に微力ながらも貢献できていること、また、津山市では今、何が起こっていて、何が問題なのか、どこに向かうのか、ということがより近い場所で勉強でき、仕事ができていることに、やりがいと誇りを感じています。

私が、市役所に入庁した理由としては、自分の生まれた街、育った街のために働くことが、自分を育ててくれた街に対する恩返しになるという思いがあったからです。
市役所で行われている全ての仕事は、津山市の為、津山市民の為の仕事です。例えば、私が入庁して最初の職場である市民課では、住民登録や、戸籍への身分事項の記載、各種証明の発行など、市民の方の生活に直接影響を与える職場でした。
現在の議会事務局でも、議会運営の手助け、議員活動への手助けを行うことは、津山市をよりよい街にすることを手助けするという意味で間接的ではありますが、市民の為の仕事といえます。
このように市役所は、私が望んでいた、自分の生まれた街、育った街で働ける最良の場所だと感じています。これから、様々な部署で様々な仕事をするようになると思いますが、全て津山市の為になっているんだ、という誇りと責任をもって公務にあたりたいと思っていると同時に、様々な角度から、様々な方法で津山市に貢献できることを今から、楽しみにしています。

そしてこのような場に寄稿できるせっかくの機会ですので最後に一言。
私は、在校生やこれから作陽に入学される方に、「あれを頑張ってほしい」とか「こうすることが大切だ」など、為になるアドバイスをすることはできません。
ただ、知っていてほしいことは、みなさんが現在送っている又は送ろうとしている高校生活は、私たち卒業生が胸に大切にしまっている「あの頃」の高校生活ということ、そして当たり前ですが、あなた自身の中でもいずれ「あの頃」になってしまうということです。その時になってはじめてその「あの頃」がかけがえのないものであるということに気付くのです。


悔いのない「あの頃」を過ごしてください。

2017年11月25日土曜日

#10

みなさんお元気ですか?私は、2008年卒業の田中彩香と申します。

 大学卒業後、小学校での勤務を経て、現在は倉敷市の中学校に勤務しています。
 私の職業は保健室の先生(養護教諭)です。救急処置や健康診断はもちろん、学校の環境を整えたり、心や体について相談を受けたり、保健の授業に関わったりします。養護教諭の仕事は、子どもたちが学校生活を安全・健康に送れるようにサポートすることです。養護教諭は学校に一人しかいないため、たくさんの先生方に協力してもらいながら、日々の仕事をしています。

 私が作りたい保健室は、生徒が肩の力を抜いてホッとできる場所です。また、SOSを発信できる雰囲気作りを心がけています。保健室に入ってきたときより、少しでも顔を上げて教室へ戻っていってほしい。保健室での時間が、少しでも子どもたちの力になっていてほしい……それが私の願いです。
 子どもたちの多くは周りの様々なことに対して、敏感に感じ、考え、悩んでいます。毎年、受験を控えたこの時期の3年生は、成績や進路、自分の未来について考えています。一人で悩むのは苦しいです。自分に向き合うことは、かなりパワーが必要です。でも、目の前にある大変なことを乗り越えたら、大切なこととして自分に返ってきます。卒業していく生徒を見たら、「苦しい時間を乗り越えたから、こんなにいい笑顔で卒業を迎えられるんだろうな」と感じます。大変なことの大切さ。それを教えてくれるのは子どもたちです。私自身にも言い聞かせます。大変なことも、大切な子どもたちのためなら乗り越えられる!

私は3年生の卒業前日、一人ひとりに、小学校1年生から中学校3年生までの「成長の記録」を渡しています。それに結んであるリボンの長さは、9年間で伸びた身長と同じ長さです。子どもたちの顔を思い浮かべながらリボンの長さを測るとき、なんとも言えない温かい気持ちになります。自分自身も成長でき、子どもたちの成長も見守ることができる、素敵な仕事に出会えました。

作陽生のみなさん。これからいろんな壁に直面するときがくると思います。「大変なこと=大切なこと」。時には肩の力を抜いて深呼吸……周りにはみなさんを支えてくれている人がいます。高校時代に出会った友達や先生は、今でも私の心の支えです。今ある時間を大切に過ごしてください。

2017年11月18日土曜日

#9

 みなさんお元気ですか?私は2006年に作陽高校を卒業した黒田瞬と申します。

現在、私は株式会社中国銀行で働いています。

高校生のみなさんが銀行を利用されるといえば、窓口やATMでお金を預けたり、引き出したりすることがほとんどではないでしょうか?銀行の仕事は商品を作ってコンビニやスーパーで売る訳ではなく、建物を建てたりする訳でもないので、目には見えないことが多く、イメージが難しいと思いますが、みなさんの生活に大きく関わっています。銀行の業務は多岐にわたりますが、一例を挙げれば、ご両親からの仕送りをみなさんの口座に確実に届けるのも銀行の役目ですし、車や家等の高価な物を買う方にご融資をするもの銀行の仕事です。

 私は2010年に中国銀行に入社してから約8年間の大半を渉外係(外回り)として活動しています。主な仕事は、地域の企業を訪問し、資金の運用や融資等を通じて企業が抱える様々な課題を解決することです。その仕事を行う中で私が最も重要だと考えていることは、お客様といち早く信頼関係を構築することだと思っています。この信頼関係を構築するとういう面で作陽高校を卒業したことが現在とても力になっています。

 私は2度の転勤を経て昨年7月に津山支店に配属になりました。津山支店に着任し、お客様と会話をする中で「作陽高校でサッカーをやっていました」と言うと「それはすごいね!」と自分に興味を持ってもらい、お客様と関係を築く大きなきっかけとなっています。また「今年はフォワードの○○君がいいね!」など、かなり詳しい方も多くおられ、改めて津山の方が作陽高校を本気で応援してくださっていることを高校生の時以上に感じ、嬉しく思うことが多々あります。

 営業活動をしていて、お客様に自分の提案が受け入れてもらえないこと、自分の思いが伝わらないことは多くあります。そんな時に私が大事にしていることは作陽高校の校訓にもある「継続すること(継続は力なり)」です。お客様にどうなって欲しいのか、自分がどのような取引をしたいのか、お客様とどのような関係になりたいのか等の目標を持ち、その為にはそんな行動をすれば良いのかを考えます。後はそれを実行します。1度では受入れられないこと、失敗することの方が多いですが、そこで諦めずに続けていれば思いが伝わることは数多くあります。

この「OB・OGのお元気ですか?」への投稿をきっかけに作陽高校に入学してから現在までを振り返り、諦めずに継続すれば何かが変わるという気持ちは、少なからず高校生活3年間で身についたものだと改めて感じました。高校生のみなさんも自分が楽な方に進みそうになった時には一度作陽高校の校訓を思い出してみてください。

2017年11月13日月曜日

OB・OG寄稿者一覧

     #1 2007年卒村井先輩      #2 2009年卒山部先輩
     #3 1994年卒有松先輩      #4 2004年卒山岡先輩
     #5 2002年卒谷口先輩      #6 2008年卒堀谷先輩
     #7 2010年卒下山先輩      #8 2005年卒波田先輩

 後輩への熱いメッセージ、仕事自慢、職場自慢(宣伝もOK)したいOB・OGの寄稿をお待ちしています。
 連絡先 sakuyo@sakuyo-h.ed.jp  ℡0868(23)2188 『OB・OGのお元気ですか?』の件ですと、お伝えください。


2017年11月11日土曜日

#8

みなさんお元気ですか?私は2005年卒の波田晃二と申します。
 
今私は、ニベア花王という会社で「マーケティング」の仕事をしており、現在は男性用化粧品ブランドの「ニベアメン」、男性用制汗剤ブランドの「8×4MEN」というブランドのマーケティング担当をしております。

仕事の内容について、大きな流れで【計画】【実行】【確認】の3つのフェーズに分けてご説明させて頂きますと、下記のような仕事になります。

◆仕事の大きな流れ・内容
【計画(Plan)】
 市場・消費者・競合分析&短期・中長期戦略立案(ブランディングや新製品・改良品の商品戦略)
【実行(Do)】
 商品パッケージ、TVCM作成、店頭、WEBプロモーション等の策定と実行
【確認(Check)】
 発売した商品の動向分析、良い点、悪い点を抽出し、次の新商品やリニューアルの成功確率を上げる

上記だけを見ると、なんとなく華やかな恰好良い仕事をしているという印象をお持ちになる方もいるかと思います。マーケティングという仕事は、クラスでいう所の学級委員長、部活でいう所のキャプテンであり、組織の進むべき方向性を定め、束ねて推進する役割で、協力者を得られなければ何一つ、自分一人では推進する事ができない仕事です。例えば、製品を作るのも研究・開発・生産部門等の協力が必要、TVCMを作るのも広告代理店の協力が必要、商品をお店に並べて頂くのも販売部門の協力が必要、と何一つ自己完結できない仕事ばかりです。つまり、多くの人と「チーム」でする仕事なのです。

そのような多くの人と一緒に仕事をする中で、私が一番心がけているのは「人を巻き込む事」です。その為には「あいつの為ならやってやろう」と思ってもらえるような関係を築く事が大切です。どうすれば「あいつの為ならやってやろう」と思って頂け「人を巻き込む事」ができるのか、それは、自分の意見や都合だけではなく、「相手の立場や気持ちを考えぬく事」が大切です。

私自身、高校時代は思ったように上手くいかない事も多く、正直腐っている時期がありました。そんな時、恩師から「人のせいにばかりにするな、みんなの事を考えて今やるべき事に徹しろ、そうでなければ次に何も繋がらないではないか」と指摘を受け、はっと気付かされた事があります。

私自身もそうであったように、実はみなさんが社会に出ていくにあたって今、一番大切な事はクラスや部活の中で、仲間を思いやり、協働し、何でもいいので一生懸命に何かを成し遂げる事だと思います。のちに作陽生活を振り返れば社会に出ていく上で一番大切な「相手の立場や気持ちを考えぬく力」、結果として「人を巻き込む力」がついていると思います。言葉にし難いですが、作陽にはこれらを学べる風土・空気感があったように思います。私は作陽高校の3年間で今の仕事や人生で一番大切にしているそれらを学びました。仕事相手に出身高校が作陽である事を伝えるとよく「あの岡山の作陽?!」と驚かれて一気に距離が縮まる瞬間があります。そんな時、やっぱりOBとして嬉しく、誇らしい気持ちになります。


 私は、自らが関わった商品やサービスで人を幸せにする事ができるマーケティングの仕事が大好きです。作陽で学んだみなさんの中にも将来、化粧品や消費財の世界でマーケティングを志す方もいると思います。その時は、是非一緒に、家族や恩師、仲間に誇れる事を、世の中の人を幸せにできるような大きな事を仕掛けましょう!

2017年11月6日月曜日

#7

みなさんお元気ですか?
私は、2010年卒業の下山静之と申します。

作陽高校を卒業した後は、国立の大学、大学院と進学し、現在は地元津山に帰ってきて小学校教諭をしています。

教員2年目となり、担任としての仕事だけでなく、校務分掌の仕事で任されることが多くなりました。校務分掌というのは、学校の教育目標を実現するために、先生で仕事を分担して、行っていくものです。例えば生徒指導部や、保護者と協力して行うPTA活動なども含まれます。1年目は無我夢中で担任としての仕事をしていただけでしたが、今年はそのような仕事が増え、毎日全力で日々を過ごしていますが、毎日子どもと関わることが楽しく、中でも授業で子どもが楽しみながら活動している時に「わかった!」と言いながら問題を解く時、子どもの成長を感じた時、教師という仕事のやりがいを感じます。

この仕事をさせて頂いて、子どもたちからとても考えさせられることがあります。私たちは普段、今までの経験の中から、判断し推測し答えを出して日常生活を過ごしています。先に成功する失敗するを見越して行動をします。一方で小学生の子どもたちは、毎日初めて出会うことだらけであり、新たに学ぶことだらけです。それに対して、純粋に驚いたり、素直に興味を持ちながらまっすぐ全力で取り組みます。うまくいけばいい笑顔で誇らしげな顔をします。もし失敗しても、何度も繰り返し挑戦していきます。失敗を恐れず、新しいことに興味を持ち挑戦していく様子を見て、見習わなくちゃいけないなと思わせられます。考えてみれば、私自身も小学校教員2年生です。子供たちのためにもっともっとできることを失敗を恐れず挑戦していきたいと思います。

純粋な子ども達に関わりながら、一緒に成長していくことにやりがいとともに、これからを担う子どもたちを育てていく責任を感じながら毎日を過ごしています。


作陽高校の皆様も、何事にも意欲的に全力で向き合っていってほしいです。そうすれば、いつか、きっと自分の夢や目標を叶えられると思います。応援しています。

2017年10月30日月曜日

#6

みなさんお元気ですか?私は2008年に作陽高校を卒業した堀谷順平と申します。

現在、私は(株)NTTドコモで働いています。ドコモと言えば携帯電話やスマートフォンを思い浮かべる方がほとんどかとは思いますが、私の考えるドコモはそういった物売りの企業ではありません。「日本の通信インフラの根幹を担っており、世の中になくてはならない価値を生み出し続けている」そんな企業だと自負しています。みなさんは何か緊急の際(災害やトラブル)やイベントの時(旅行や記念日)など必ず持っていくものは何でしょうか?私は「スマートフォン」です。共感される方も多いのではないでしょうか。「世の中になくてはならないものを生み出し続ける、もっと便利で付加価値の高いものを提供する」これが私の勤める(株)NTTドコモの使命だと考えています。
 具体的な業務内容としては会社の法人営業部門の事業計画や営業戦略の企画&立案をしており、言わば会社の舵取り役です。年間約45千億円以上の売り上げを誇る企業規模の舵取り役の責任は重大です。日々勉強と成功と失敗の繰り返しですが、とても貴重な経験を積ましてもらっているなと思います。

そんな私の経歴を簡単にご紹介します。
 私は中学時代岡山のクラブチームでサッカーをしていました。サッカー漬けの毎日でしたが、より厳しい環境に身を置きたいと両親に懇願し作陽高校へと入学しました。作陽高校ではスーパー特進コースに在籍し、サッカー中心の生活でありながらも名門大学への進学を目標にするクラスメイトと共に授業を受けていました。
在学中の文武両道は本当に自分との葛藤でしたが何とか両立できたのでは?と今は思っています。3年間スーパー特進コースで勉強しながらも、高校2年生の時には全国高校サッカー選手権大会で準優勝、個人としては2年生・3年生の時に全国大会で優秀選手に選出されました。スーパー特進コースのクラスメイト、サッカー部のチームメイト、先生、両親、自分をサポートしてくれる人の存在があったからこそだと年々強く思います。
高校卒業後は筑波大学に入学しました。ここではまた違った毎日がありました。それは私の学部にいる全ての人が文武両道を当たり前に体現していたからです。「部活があるから」「ゼミの課題が忙しいから」そんな言い訳は一切聞こえませんでした。そういった環境のおかげもあってか本当に成長できた4年間だったと思います。


④堀谷
 私の後輩にあたる作陽高校卒業生のみなさん、在学生のみなさん、これから作陽高校に入学したいと思っているみなさん、みなさんの「軸」は何でしょうか?私の軸は「常に挑戦者であることです」。そのベースを築けたのが作陽高校での3年間でした。校訓にもある「念願は人格を決定す、継続は力なり」本当にその通りだと思います。部活動では「維持は衰退、常に成長し続けることが勝つための最低条件」ということを身を以て学びました。これは社会人になった今でも私の「軸」となる大切な要素です。是非みなさんも自分なりの「軸」を見つけてどんなことにも前向きにチャレンジしてほしいなと思います。


2017年10月25日水曜日

#5

みなさん お元気ですか?


2002年に作陽高校を卒業しました谷口香織と申します。私は現在、美作市立美作中学校に音楽科の教諭として勤務しています。


高校の3年間は、音楽科で過ごしました。私たちのクラスには、音楽を専門的に学ぶために岡山県以外から入学しているクラスメイトが多く、いろいろな地域の方言が飛び交うなか、音楽と共に毎日を楽しく過ごしていました。高校時代を振り返ると、私の中の「音楽」の礎となる経験を数多くしたように思います。ソルフェージュや音楽理論といった専門科目の他に、合奏や合唱といった全学年で取り組む授業があり、1つの作品を多くの仲間たちと時間をかけて創りあげていくこと、そしてそれを演奏会という場で多くの方に聴いていただくこと、そうやって「音楽」は創られ広がっていくのだと身をもって経験することのできた高校時代だったように思います。


卒業後は、中学校・高等学校の教員免許状を取得するため、くらしき作陽大学へ進学し、教育実習は作陽高校でお世話になりました。今、音楽と共に生活している私があるのは、作陽のおかげと言っても言い過ぎではないと思っています。


中学校に勤務して、自分自身が生徒だったころや教員になるために勉強していたころには知らなかったことを、数多く経験しました。授業の準備はもちろん、学級や部活動に関わること、事務的な業務もこなします。遅い時間まで帰れないことも多くありますが、この仕事にやりがいを感じています。生徒たちに直接関わることができるのは、中学校生活の3年間しかありませんが、このほんの少しの期間でも生徒の人生に関わることができることに、喜びと責任を感じます。


昨年度初めて、私が音楽の授業や部活動で関わった「教え子」が作陽高校の卒業生となりました。在校生にも「教え子」たちがいて、数年後にはまた卒業生となっていくことに、不思議な思いを抱くと共に嬉しく思っています。


教員として働く中で、悩んだり、困ったり、挫折しそうになったことは数多くありました。その中で、私の支えになったのは目の前にいる生徒たちの姿はもちろんですが、教師を目指した時の思い、作陽で出会った恩師や仲間たちの励ましでした。高校生のみなさん、作陽での出会いは一生の宝物だと思います。そんな出会いを大切にしながら学校生活を送ってください。

2017年10月21日土曜日

#4

みなさんお元気ですか?私は2004年卒の山岡靖典です。

今私は、国内製薬企業に在籍しておりますが、人事異動により現在はアメリカのボストンで働いています。ボストンはアメリカの北東部に位置し、アメリカの中でも最も歴史の古い街のひとつです。アメリカ建国の歴史を彩る見どころやボストン美術館、ボストン交響楽団、スポーツ(野球:レッドソックス)など、興味の対象が盛りだくさんな街です。

私が働いている製薬業界では、近年数多くの製薬企業がグローバル規模での医薬品の販売、研究開発を行なっており、その一環として、海外の製薬企業の買収や大学や研究機関と協同で研究開発するなど様々な活動を世界各国で行っています。当社においてもアメリカの会社を買収しアメリカ、カナダで事業を行なっています。

私は、その現地の会社にAccounting Managerとして働いており、主な仕事として国内親会社への決算報告や親会社との連携をスムーズにするなどをしています。当然、仕事では英語でやり取りをするわけですが、語学はもちろんのこと相手の慣習や文化など日本と異なることが多く、コミュニケーションの難しさを日々痛感しているところです。しかし、自分の意見や考えを主張しなければ、アメリカでは受け入れらない風潮があるので、いくら英語が下手でもお互いが納得するまでコミュニケーションをとるようにしています。まだアメリカに来て間もないですが、よく言えばたくましく、悪くいえばずうずうしくなったと思っています。また、日々の仕事では疲れる反面、一生懸命努力して何かを得られる達成感はあり、今ではそれを楽しめるようになってきました。直近では、数百ミリオンドル(数百億円)の企業買収プロジェクトを完遂できてほっとしています。日本で働く環境とは違いますが、「こうしたい!」と本気で願い行動することが重要だと実感しています。今、様々な業種の日本企業が海外に進出していると思います。私が高校生の時と比べると世界との距離はかなり緊密になったと思います。皆さんも社会人になった際に突然「アメリカに行ってもらう。」と言われる日が近いかもしれませんね。



これから大学生や社会人になる節目には、今まで自分が何をしてきたのか見つめる時期が必ず来ると思います。私の場合、企業への就職活動がまさにそのときでした。その際に、人としての在り方や部活動に真剣に打ち込んだことなど高校生活で経験したことが今の自分を形成していると気づきました。皆さんも作陽高校で学んだことを社会で活かすときが来ます。一日一日を大切にお互いがんばりましょう。

2017年10月17日火曜日

#3

皆さんお元気ですか?私は1994年卒OBの有松林太朗と申します。

今、私は岡山市内で家業である創業143年(明治8年創業)の株式会社花のアリマツで代表取締役を務めています。
私の会社は、生花販売業いわゆるお花屋さんです。仕事の内容としては、いけばな流派へご提供する花材卸業務・百貨店でのテナント業務・量販店への卸売業務・ネット販売業務などが中心です。継承者として100年以上続いている会社の社長になって6年目となりました。日々奮闘しています。
花屋の老舗というのは時代の変化について行くのが苦手な傾向があるのですが、私の会社では「不易流行を追求しながら、常に時代に添った変化をし続けなければならない。」と考え、老舗とベンチャーのハイブリットを目指し、伝統や歴史を尊重しつつ、新しい事にガンガン挑戦しています。


高校生活はサッカー部に所属し親元を離れ3年間寮生活を過ごさせていただきました。
高校生活の感想は正直「辛かった!」につきます。規律正しい寮生活、部活の練習、先輩後輩の人間関係、ゼロに近いプライベートな時間等。もちろん辛いと思う局面は人によっても異なるでしょうし、在学生の環境も時代と共に変化していると思います。しかし今の私にとって厳しかった高校生活は無くてはならない経験となっています。
高校を卒業後、東京の大学に進学をしました。サッカーからは一端はなれ、ラクロスというスポーツを始めました。新たなラクロスという分野に真剣に打ち込み、日本代表候補にも選出されるようにもなりました。卒業後に地元岡山に戻り、岡山青年会議所(20歳から40歳までの青年経済人が集う公益社団法人)に13年間所属させていただき、多くの事を学びました。その岡山青年会議所の活動の中でも作陽高校や大学で一つのことに懸命に取り組んだという経験のおかげで、2012年には第62代理事長も務めさせていただきました。


作陽高校での経験が人生の大きな節目となり、社会人としての基礎を培うことができ、私を大きく変えてくれたと思っています。
辛い事、厳しい事と向き合うと大変ですよね。そりゃ大変です。大きく変わるから大変なのですから。でも、その大きな変化を乗り越えると必ず成長が待っているのです。大きく変われるのです。



私はこの先も高校生活での経験を生かし、変化する事を恐れずに成長し続けていきたいと考えています。どうか在校生の皆さんも変化を恐れず、大変と感じられる高校生活を大切に過ごしてください。

#2

みなさんお元気ですか?私は2009年卒の山部晃と申します。

今私は,岡山県立笠岡高等学校に勤務しています。つまり,私の仕事は高校教師です。

 皆さんは「教師」と聞くと,どんなイメージをもつでしょうか。「忙しそう…,楽しくなさそう…,なんか堅そう…」と高校生のみなさんは,いろいろなイメージをもっていると思います。私もそうでした。しかし実際に働いてみて感じたことは,イメージ通りの部分(ほんの少し)もあるけれど,とてもやりがいのある仕事だということです。

 私の働いている笠岡高校は,今年度で創立116年目を迎える,歴史と伝統のある学校です。古くから「千鳥」の愛称で知られ,岡山県南西部の普通科拠点校として地域の期待や信頼に応えつつ,25,000人に及ぶ人材を世に送り出しています。その卒業生は社会のさまざまな分野で広く活躍しています。私は保健体育科の教師として,全校生徒580名と共に日々生活しています。私の主な仕事は,もちろん授業です。体育と保健の授業を担当しており,生徒の心身の健康について座学や運動を通して教えています。教員は授業だけが仕事だと思っている人も少なくないはずです。しかし,実際の仕事は授業以外にも多くあります。よりよい授業を展開するための授業準備や,学校を教員一人ひとりで支えあって作り上げている校務分掌としての仕事,部活動顧問としての指導・試合の引率など,私が高校生の時には知らなかった仕事を毎日周りの先生方に助けられながらこなしています。

 以前,生徒に保健の授業についてのアンケートをとったことがありました。その時,ある生徒のアンケートの自由記述欄に「先生の授業は面白くてわかりやすいけど,どこが大事なのかわかりません」と書いてありました。ハッとしました。私は,作陽高校での教育実習時に学んだ『今,高校生に何を伝えたいのか』ということを疎かにし,楽しさやわかりやすさのみを重視した授業を行っていました。私にとっては数ある授業のうちの一回でも,生徒にとってはそこを学ぶ人生で唯一の機会だったかもしれないのです。興味や関心をひくために楽しさも必要ですが,それだけでは本当に伝えたいことは伝わりません。それにまず私には,教師は生徒の人生を左右する職業だという自覚自体が足りなかったことに気付かされたのです。私はそれ以来,一回の授業をより大切にし,高校生のこの時期になぜ保健を学ぶのかを,常に自問自答しながら準備を進めるようになりました。半年後,その生徒の二回目のアンケートには「前より保健を今後の生活に生かせそうです」と書いてありました。


私は,この職業に就くまで,教師は子供に勉強を教えることが仕事で,そこにやりがいを感じているものだと思っていました。ところがそれだけではありませんでした。現在の私は,「目標に向け努力する生徒と共に成長できること」,「青春の苦楽を共にできること」,「一人の人間を育てられること」にやりがいがあるのだと実感しています。忙しくて遅くまで帰れない日もあります。授業がうまくいかないときもあります。でも生徒が待っていると思うと,どんなに辛くても自然とやる気が出てきます。今では,生徒の人生に関われるこの職業にとても誇りを感じています。

2017年10月5日木曜日

#1

みなさんお元気ですか?私は2007年卒の村井と申します。

今私はキリンビールに勤めています。私の仕事は、一人でも多くのお客様にキリンビールの商品を飲んでいただける環境作りをすることです。

現在は、東京支社に在籍し、日本でも有数の飲食街である上野駅周辺で営業をしています。そのエリアにはアメ横通り、上野動物園など観光名所としても朝から晩まで賑わっている街でもあります。私が行なったこの地域ならではの営業エピソードをお話しします。

上野駅は昔から“北の玄関口”と言われ、東北地方と深いつながりを築いています。ご存知の通り2011年に東日本大震災がありました。その被災から復興のために頑張っている東北地域に、少しでも貢献できないかと担当エリアの方々と話し合い、東北復興オリジナルドリンクという企画商品を考案しました。その企画商品を上野駅周辺の飲食店に提案し、多くの飲食店で取り扱いが決まりました。そしてその商品の売上の一部を東北復興の寄付金として被災地に贈呈させていただきました。キリンビールの商品を通じて、地域に根付き、社会に微力ながら貢献できていることに、誇りを感じています。

一方で、私がしている営業という仕事は、どんな会社に勤めていても辛いことも多くあります。どれだけ商品や企画が良くても、契約できるわけではありません。いきなりお店に飛び込んでいっても、お店のオーナーに話を聞いてもらえません。まず自分が信用してもらえるよう頻繁に足を運び、自分を売り込んでいかないと話は次に進みません。そんな時に、『村井さんは、今まで何してきたの?』『ずっとサッカーをしてきました。』『へー。どこでサッカーしてきたの?』『高校は岡山県の作陽高校でしてました。』『っえ?作陽ってあの作陽?すげー!』と作陽の名前を出した時に、一気に興味を抱いてくれる瞬間があります。その度に、作陽高校の卒業生でよかった、と切実に思います。

作陽ブランドは、諸先輩方が築き上げてくれた財産です。そのブランドを生かすも殺すも、今在学している皆さんが作っていくものです。

5年後、10年後、誰が聞いても、誰もが知ってる作陽高校にしていただきたいです。もっともっと日常生活の中に作陽高校の話題が自然に出てくるようなそんな高校になってもらいたいと思います。

現役高校生へのメッセージ

作陽高校のOB・OGの社会人としての活躍を語ってもらうブログです。
どんどん更新していきます。お楽しみに!!!