2019年8月29日木曜日

#19

 皆さんお元気ですか?
 2006年卒業の西脇陽と申します。
 作陽卒業生の中にこのような選択をしている先輩もいると、皆さんの参考になればと思い投稿しました。まず始めに私がどのような人間なのか経歴を交え紹介させてもらい、そして最後に皆さんに伝えたいメッセージを書かせてもらいます。

 まず作陽高校を無事卒業。覚えている限り3回は本気で辞めようと思いました。今思えば本当に辞めなくてよかったです。東洋大学に進学してアゴの骨を折ってしまうとか、10トントラックに追突されるとか、サッカー部の活動ができない時期があり、それを利用して勉学に励みました。ある意味そのおかげで大学まで続けてきて、自分を育ててくれたサッカーにけじめをつけ、次のビジネスという舞台に移る決心ができたのだと思います。
 卒業後、仕事のイロハを学ぶために上場企業で2年間働きました。その一方で、大学時代に描き直した夢に向け着々と準備も進めていました。満を持して会社を退社し単身カナダに渡りました。カナダに行った理由は、これからの時代のビジネスでは、日本で働くにしても海外を相手にしないと大きな飛躍はないと考えていたからです。と、もっともらしい理由半分、残り半分は単純に「インパクトのある事をしないと勉強がそれほど得意でなかった自分は、その他大勢として埋もれてしまう」と焦っていたからです。このあたりの心境を語らせてもらえるならば1時間は話せます。
 そしてカナダに渡り、英語の勉強を学校にお金を払ってするより、仕事をして稼ぎながら生きた英語を学ぼうと現地で真珠会社の起業をしました。カタコトの英語で様々な手続きを行う事はとても大変でした。起業して2年後には年商2000万円強になり、その半分近くは自分の収入として貰っていたと思います。どうですか?夢があるでしょう?
 しかし、そのまま上手くは行きませんでした。カナダで働くためのビザが国から下りなかったのです。その時にも色々な選択がありましたが、本来は日本を拠点に働きたいと考えていたので、自分が描いていた予定より早い帰国にはなりましたが、その時もポジティブに捉えていた事を覚えています。
 そして2年間カナダの会社を経営していた時の関連会社に努力を買われて、帰国後に入社する事になりました。会社の規模はカナダの時の50倍程ではないでしょうか。しかし個人としては一番下からの再スタートです。一つ一つ積み重ねていこうと思って奮闘してきました。今年でその真珠の会社に勤めて6年目になります。今は海外で月に一回のペースで開催される国際宝飾展に出展して、日本の特産品である「真珠」をアメリカ・カナダ・香港・シンガポール・タイ・アブダビなど10カ国以上で販売しそれを広める仕事と、国内での百貨店での販売、そして新しいブランドの立ち上げなど幅広い分野に携わる仕事をしています。有り難いことに、それらの責任者として任せられることも増えてきました。

 自分の経歴について書くのは不慣れなもので長くなりましたが、この様な選択をしてきた私が大切にしてきたことは、
①最終的には自分で決める
②一見悲観しそうな事柄にも必ずある良い面を見つける(簡単に言えばポジティブに考える)
③課題やその期間のテーマを作る
(例:今はカナダで修行の期間だ、など。ちなみに今は最高に幸せな家庭作るがテーマです。人生のメリハリが出来るので飽き性の人にはいいと思います)

 この様な事を胸に秘め日々生活しているのですが、お世辞でもなんでもなくこれを作り上げたのは一番血気盛んな高校3年間だと思います。この時期に誰に会い、何をしたのかで他の人にはない特徴ができ、これは正しいのか?というものさしが確立すると思います。このものさしは32歳になった今でも変わりません。

高校生の皆さんは素晴らしい経験ができるチャンスが溢れています。その環境に身を置けることに感謝しながら、精一杯楽しんでください。