2019年10月18日金曜日

#20



みなさんお元気ですか?
私は2006年卒業の山本剛之です。

現在は、兵庫県の神戸市を拠点にスプレーアーティストとして活動しております。スプレーアートとは、カラースプレー缶を使用して紙・板・壁など様々なものに『宇宙』『大自然の風景』『空想の世界』など幻想的かつダイナミックな絵を描くアートです。

作陽高校に入学した理由は、プロサッカー選手になりたいという夢に少しでも近づきたい思いからでした。しかし、自分の努力不足から周りとの力の差はどんどん離れていくばかり。最後はレギュラーにもなれずに卒業し、同時に小学校1年生の時から好きで続けていたサッカーから離れることになります。ずっと続けていた大好きなサッカーから急に離れると、やりたいことや好きなものはなかなか見つかりませんでした。その後、私がサッカーの次に好きな事(スプレーアート)が見つかるまで8年かかります。

サラリーマンとして営業の仕事をしていた26歳の時に、YouTubeでたまたま海外の人がスプレーアートをしている動画を観ました。絵を描くのが苦手な私でしたが、スプレー缶を使ってあっと言う間に素敵な絵を描く姿を観て完全に心を奪われてしまいました。その日から独学でスプレーアートを始めます。そこから2年後、サラリーマンを辞めて神戸市に日本初のスプレーアート専門店をオープンして現在に至ります。

今は店舗を運営しながら保育園・病院・介護施設・商業施設・企業・イベントなどで出張ワークショップを行い、絵を描くことの楽しさや自身の体験から新しいことに挑戦するきっかけ作りの重要性を伝える活動をしています。絵描きを仕事にしている私は今でもスプレー以外のペンや筆で描く絵が下手です。知らない人は『下手とは言ってもそれなりには上手いでしょ?』と言うのですが、私がペンや筆で描く絵を見てもれなく驚きます。絵描きなのに絵が下手とテレビでネタにされる程ですから

幼少期からスプレーアートに出会い今までを執筆
自伝本『ムソクネ』を出版しています。
ずっと絵が下手だったからこそ些細なきっかけからスプレー缶で少し上手く絵が描けたことが嬉しくて、勢いで自分の仕事にしてしまいました。作陽高校時代にまさか将来絵描きの仕事をしているなんて想像もしていませんでした。サッカー・フットサル・リフティングパフォーマー・セパタクローは足を使う競技です。似ている所もありますが少し違えばそれぞれの選手がどこに行っても同じように活躍できるわけではありません。

みなさんも少しでも興味を持ったことがあれば積極的に挑戦してみましょう。自分が活躍できる分野が見つかるかも知れません。また、先入観だけで苦手と思っている事やそこまで興味のないことでも、食わず嫌いせずにまずは一度やってみることで自分でも気付かなかった可能性が不意に見つかるかも知れません。

みなさんのこれからの活躍に期待しております。お互いに人生を楽しみましょう。



2019年8月29日木曜日

#19

 皆さんお元気ですか?
 2006年卒業の西脇陽と申します。
 作陽卒業生の中にこのような選択をしている先輩もいると、皆さんの参考になればと思い投稿しました。まず始めに私がどのような人間なのか経歴を交え紹介させてもらい、そして最後に皆さんに伝えたいメッセージを書かせてもらいます。

 まず作陽高校を無事卒業。覚えている限り3回は本気で辞めようと思いました。今思えば本当に辞めなくてよかったです。東洋大学に進学してアゴの骨を折ってしまうとか、10トントラックに追突されるとか、サッカー部の活動ができない時期があり、それを利用して勉学に励みました。ある意味そのおかげで大学まで続けてきて、自分を育ててくれたサッカーにけじめをつけ、次のビジネスという舞台に移る決心ができたのだと思います。
 卒業後、仕事のイロハを学ぶために上場企業で2年間働きました。その一方で、大学時代に描き直した夢に向け着々と準備も進めていました。満を持して会社を退社し単身カナダに渡りました。カナダに行った理由は、これからの時代のビジネスでは、日本で働くにしても海外を相手にしないと大きな飛躍はないと考えていたからです。と、もっともらしい理由半分、残り半分は単純に「インパクトのある事をしないと勉強がそれほど得意でなかった自分は、その他大勢として埋もれてしまう」と焦っていたからです。このあたりの心境を語らせてもらえるならば1時間は話せます。
 そしてカナダに渡り、英語の勉強を学校にお金を払ってするより、仕事をして稼ぎながら生きた英語を学ぼうと現地で真珠会社の起業をしました。カタコトの英語で様々な手続きを行う事はとても大変でした。起業して2年後には年商2000万円強になり、その半分近くは自分の収入として貰っていたと思います。どうですか?夢があるでしょう?
 しかし、そのまま上手くは行きませんでした。カナダで働くためのビザが国から下りなかったのです。その時にも色々な選択がありましたが、本来は日本を拠点に働きたいと考えていたので、自分が描いていた予定より早い帰国にはなりましたが、その時もポジティブに捉えていた事を覚えています。
 そして2年間カナダの会社を経営していた時の関連会社に努力を買われて、帰国後に入社する事になりました。会社の規模はカナダの時の50倍程ではないでしょうか。しかし個人としては一番下からの再スタートです。一つ一つ積み重ねていこうと思って奮闘してきました。今年でその真珠の会社に勤めて6年目になります。今は海外で月に一回のペースで開催される国際宝飾展に出展して、日本の特産品である「真珠」をアメリカ・カナダ・香港・シンガポール・タイ・アブダビなど10カ国以上で販売しそれを広める仕事と、国内での百貨店での販売、そして新しいブランドの立ち上げなど幅広い分野に携わる仕事をしています。有り難いことに、それらの責任者として任せられることも増えてきました。

 自分の経歴について書くのは不慣れなもので長くなりましたが、この様な選択をしてきた私が大切にしてきたことは、
①最終的には自分で決める
②一見悲観しそうな事柄にも必ずある良い面を見つける(簡単に言えばポジティブに考える)
③課題やその期間のテーマを作る
(例:今はカナダで修行の期間だ、など。ちなみに今は最高に幸せな家庭作るがテーマです。人生のメリハリが出来るので飽き性の人にはいいと思います)

 この様な事を胸に秘め日々生活しているのですが、お世辞でもなんでもなくこれを作り上げたのは一番血気盛んな高校3年間だと思います。この時期に誰に会い、何をしたのかで他の人にはない特徴ができ、これは正しいのか?というものさしが確立すると思います。このものさしは32歳になった今でも変わりません。

高校生の皆さんは素晴らしい経験ができるチャンスが溢れています。その環境に身を置けることに感謝しながら、精一杯楽しんでください。

2019年6月24日月曜日

#18


みなさんお元気ですか。
 私は2016年卒の伊藤さくらと申します。現在日本体育大学でサッカー部に所属し、勉学と部活動の両立に励んでいます。

 高校在学時は、女子サッカー部に所属しキャプテンを務めさせていただきました。毎日サッカー漬けの日々で、素晴らしい指導者と個性豊かな仲間たちに囲まれて過ごした3年間は幸せでした。特に恩師である池田先生には、熱いご指導をしていただき、どんな時もいつも私たちと向き合い、成長させてくださいました。苦しいことやつらいこともたくさんありましたが、乗り越えあきらめず最後までやりきったからこそ今の私があると思います。

 現在在籍中の日本体育大学の女子サッカー部は、インカレ優勝数最多の強豪校です。また、なでしこリーグ一部にも所属しています。レベルの高い環境でサッカーする中で自分自身の不甲斐なさを感じ、何度も下を向きかけました。そんな時つらいことがあっても下を向かず乗り越えてきた高校3年間を思い出しました。途中で逃げ出すことは簡単ですが、やり続けることで何か自分にとってプラスになることが見つかると思います。

 私はこれまで高校生活、大学生活を通してつらいことがある度に仲間の存在に助けられました。いつも支えてくれる仲間がいることで何度も救われました。高校を卒業した今でも同期と集まりますし、試合の結果を見て連絡してきてくれたりします。仲間との出会いは一生の宝物です。たまにすれちがうこともあると思いますが、仲間を大切にし、仲間と共に成長していってほしいなと思います。


 在校生のみなさん。高校生活はあっという間です。3年間終えた時に、「あの時こうしとけばよかった」と後悔しないように1日1日を大切にしてください。逃げ出したくなることがあっても向き合い頑張りきることで必ず何か得られると思います。人との出会いを大切にし、自分自身と向き合い、充実した高校生活を送ってください。

2019年6月21日金曜日

#17

 今回は教育実習に来ていた卒業生からのメッセージです。

 みなさんお元気ですか?
 私は2016年卒、OGの大迫夕月と申します。
 現在は、大阪教育大学に通っており、音楽コースでピアノを専攻し日々練習に励んでいます。

 高校時代は音楽科に所属しておりました。音楽を学ぼうという意思を持つ仲間たちと共にまた勉強した日々は私のかけがえのない宝物の1つです。実技科目のレッスンやソルフェージュ、そして副科でヴァイオリンを勉強することができたりと、充実した時間を過ごせたと感じています。
 また地元が兵庫県の為、親元を離れ3年間の寮生活という貴重な経験もすることができました。音楽だけでなく、サッカーやゴルフなどスポーツを学ぶ友人とも交流を深めることができ、音楽的な側面以外からも私にとって良い影響をたくさん与えてもらえたと改めて実感します。

 私は、音楽をする上で人生経験は非常に大切な成長の源であると考えています。
 今までに感じた楽しかったことも辛かったことも、全ての経験が無駄ではありませんし、無駄にしないことが重要なのではないでしょうか。
 私自身まだまだ未熟であり、人生経験も浅く勉強不足であることを痛感する毎日ですが、今までに培ってきた経験を成長の糧としこれからも目標に向かって精進していきたいと思っています。

 高校生活は一瞬の出来事です。作陽高校在校生の皆様も1日1日を大切にし、今しかできないことをたくさんしてください。高校時代というかけがえのない日々を全力で駆け抜け、未来に向かって進んでいって欲しいと思います。

2019年5月10日金曜日

#16

2014年3月に卒業した佐賀海渡さんからお手紙をいただきました。後輩へのメッセージとして抜粋して掲載させていただきます。


拝啓
 新緑の候、いかがお過ごしでしょうか。元作陽高校サッカー部の佐賀海渡です。
 この度は、就職の報告をさせていただこうと筆をとりました。高校時代に、勝央中学校でサッカーの指導を行い、感動とやりがいを強く感じた経験から、卒業後は英語の先生になりサッカー部の顧問として働くことを夢見て、関西外語大学に入学いたしました。深い学びのある4年間と留学により教職単位の履修が1年間遅れ、科目履修生として過ごした1年との計5年を経て夢が叶いました。サッカー部ではキャプテンも務めました。
 英語科教員として出身地である大阪市の採用試験に一発合格し、4月から大阪市立淀中学校で働いています。サッカー部の主顧問となり、1年生の担任も持ち、教職経験ゼロからと分からないことだらけの中、特に授業づくりに力を入れ日々成長できるよう進んでいます。子どもたちには、夢や目標を生み出す力、そしてそれに向かい、現状を把握・分析し、自分がどうすべきか考え、行動する力をつけさせたいです。そのために自分も教育分野のエキスパートになるという長期的な新たな夢を掲げています。
 働き方改革など部活動の制限もある中、部員20名のサッカー部を持ち、ひとりひとりの夢や可能性を広げられるよう、指導を行っております。もしどこかでお会いすることや、かかわらせていただき機会があれば、よろしくお願い致します。
 これからも高校で得た、考え行動に移す力を生かし、日々自分と向き合い、子供たちと向き合っていきます。以上報告とさせていただきます。
 読んでいただき、ありがとうございました。作陽高校のますますのご活躍をお祈りしています。
                                      敬具
 令和元年5月1日 
                                    佐賀海渡