2017年10月30日月曜日

#6

みなさんお元気ですか?私は2008年に作陽高校を卒業した堀谷順平と申します。

現在、私は(株)NTTドコモで働いています。ドコモと言えば携帯電話やスマートフォンを思い浮かべる方がほとんどかとは思いますが、私の考えるドコモはそういった物売りの企業ではありません。「日本の通信インフラの根幹を担っており、世の中になくてはならない価値を生み出し続けている」そんな企業だと自負しています。みなさんは何か緊急の際(災害やトラブル)やイベントの時(旅行や記念日)など必ず持っていくものは何でしょうか?私は「スマートフォン」です。共感される方も多いのではないでしょうか。「世の中になくてはならないものを生み出し続ける、もっと便利で付加価値の高いものを提供する」これが私の勤める(株)NTTドコモの使命だと考えています。
 具体的な業務内容としては会社の法人営業部門の事業計画や営業戦略の企画&立案をしており、言わば会社の舵取り役です。年間約45千億円以上の売り上げを誇る企業規模の舵取り役の責任は重大です。日々勉強と成功と失敗の繰り返しですが、とても貴重な経験を積ましてもらっているなと思います。

そんな私の経歴を簡単にご紹介します。
 私は中学時代岡山のクラブチームでサッカーをしていました。サッカー漬けの毎日でしたが、より厳しい環境に身を置きたいと両親に懇願し作陽高校へと入学しました。作陽高校ではスーパー特進コースに在籍し、サッカー中心の生活でありながらも名門大学への進学を目標にするクラスメイトと共に授業を受けていました。
在学中の文武両道は本当に自分との葛藤でしたが何とか両立できたのでは?と今は思っています。3年間スーパー特進コースで勉強しながらも、高校2年生の時には全国高校サッカー選手権大会で準優勝、個人としては2年生・3年生の時に全国大会で優秀選手に選出されました。スーパー特進コースのクラスメイト、サッカー部のチームメイト、先生、両親、自分をサポートしてくれる人の存在があったからこそだと年々強く思います。
高校卒業後は筑波大学に入学しました。ここではまた違った毎日がありました。それは私の学部にいる全ての人が文武両道を当たり前に体現していたからです。「部活があるから」「ゼミの課題が忙しいから」そんな言い訳は一切聞こえませんでした。そういった環境のおかげもあってか本当に成長できた4年間だったと思います。


④堀谷
 私の後輩にあたる作陽高校卒業生のみなさん、在学生のみなさん、これから作陽高校に入学したいと思っているみなさん、みなさんの「軸」は何でしょうか?私の軸は「常に挑戦者であることです」。そのベースを築けたのが作陽高校での3年間でした。校訓にもある「念願は人格を決定す、継続は力なり」本当にその通りだと思います。部活動では「維持は衰退、常に成長し続けることが勝つための最低条件」ということを身を以て学びました。これは社会人になった今でも私の「軸」となる大切な要素です。是非みなさんも自分なりの「軸」を見つけてどんなことにも前向きにチャレンジしてほしいなと思います。


2017年10月25日水曜日

#5

みなさん お元気ですか?


2002年に作陽高校を卒業しました谷口香織と申します。私は現在、美作市立美作中学校に音楽科の教諭として勤務しています。


高校の3年間は、音楽科で過ごしました。私たちのクラスには、音楽を専門的に学ぶために岡山県以外から入学しているクラスメイトが多く、いろいろな地域の方言が飛び交うなか、音楽と共に毎日を楽しく過ごしていました。高校時代を振り返ると、私の中の「音楽」の礎となる経験を数多くしたように思います。ソルフェージュや音楽理論といった専門科目の他に、合奏や合唱といった全学年で取り組む授業があり、1つの作品を多くの仲間たちと時間をかけて創りあげていくこと、そしてそれを演奏会という場で多くの方に聴いていただくこと、そうやって「音楽」は創られ広がっていくのだと身をもって経験することのできた高校時代だったように思います。


卒業後は、中学校・高等学校の教員免許状を取得するため、くらしき作陽大学へ進学し、教育実習は作陽高校でお世話になりました。今、音楽と共に生活している私があるのは、作陽のおかげと言っても言い過ぎではないと思っています。


中学校に勤務して、自分自身が生徒だったころや教員になるために勉強していたころには知らなかったことを、数多く経験しました。授業の準備はもちろん、学級や部活動に関わること、事務的な業務もこなします。遅い時間まで帰れないことも多くありますが、この仕事にやりがいを感じています。生徒たちに直接関わることができるのは、中学校生活の3年間しかありませんが、このほんの少しの期間でも生徒の人生に関わることができることに、喜びと責任を感じます。


昨年度初めて、私が音楽の授業や部活動で関わった「教え子」が作陽高校の卒業生となりました。在校生にも「教え子」たちがいて、数年後にはまた卒業生となっていくことに、不思議な思いを抱くと共に嬉しく思っています。


教員として働く中で、悩んだり、困ったり、挫折しそうになったことは数多くありました。その中で、私の支えになったのは目の前にいる生徒たちの姿はもちろんですが、教師を目指した時の思い、作陽で出会った恩師や仲間たちの励ましでした。高校生のみなさん、作陽での出会いは一生の宝物だと思います。そんな出会いを大切にしながら学校生活を送ってください。

2017年10月21日土曜日

#4

みなさんお元気ですか?私は2004年卒の山岡靖典です。

今私は、国内製薬企業に在籍しておりますが、人事異動により現在はアメリカのボストンで働いています。ボストンはアメリカの北東部に位置し、アメリカの中でも最も歴史の古い街のひとつです。アメリカ建国の歴史を彩る見どころやボストン美術館、ボストン交響楽団、スポーツ(野球:レッドソックス)など、興味の対象が盛りだくさんな街です。

私が働いている製薬業界では、近年数多くの製薬企業がグローバル規模での医薬品の販売、研究開発を行なっており、その一環として、海外の製薬企業の買収や大学や研究機関と協同で研究開発するなど様々な活動を世界各国で行っています。当社においてもアメリカの会社を買収しアメリカ、カナダで事業を行なっています。

私は、その現地の会社にAccounting Managerとして働いており、主な仕事として国内親会社への決算報告や親会社との連携をスムーズにするなどをしています。当然、仕事では英語でやり取りをするわけですが、語学はもちろんのこと相手の慣習や文化など日本と異なることが多く、コミュニケーションの難しさを日々痛感しているところです。しかし、自分の意見や考えを主張しなければ、アメリカでは受け入れらない風潮があるので、いくら英語が下手でもお互いが納得するまでコミュニケーションをとるようにしています。まだアメリカに来て間もないですが、よく言えばたくましく、悪くいえばずうずうしくなったと思っています。また、日々の仕事では疲れる反面、一生懸命努力して何かを得られる達成感はあり、今ではそれを楽しめるようになってきました。直近では、数百ミリオンドル(数百億円)の企業買収プロジェクトを完遂できてほっとしています。日本で働く環境とは違いますが、「こうしたい!」と本気で願い行動することが重要だと実感しています。今、様々な業種の日本企業が海外に進出していると思います。私が高校生の時と比べると世界との距離はかなり緊密になったと思います。皆さんも社会人になった際に突然「アメリカに行ってもらう。」と言われる日が近いかもしれませんね。



これから大学生や社会人になる節目には、今まで自分が何をしてきたのか見つめる時期が必ず来ると思います。私の場合、企業への就職活動がまさにそのときでした。その際に、人としての在り方や部活動に真剣に打ち込んだことなど高校生活で経験したことが今の自分を形成していると気づきました。皆さんも作陽高校で学んだことを社会で活かすときが来ます。一日一日を大切にお互いがんばりましょう。

2017年10月17日火曜日

#3

皆さんお元気ですか?私は1994年卒OBの有松林太朗と申します。

今、私は岡山市内で家業である創業143年(明治8年創業)の株式会社花のアリマツで代表取締役を務めています。
私の会社は、生花販売業いわゆるお花屋さんです。仕事の内容としては、いけばな流派へご提供する花材卸業務・百貨店でのテナント業務・量販店への卸売業務・ネット販売業務などが中心です。継承者として100年以上続いている会社の社長になって6年目となりました。日々奮闘しています。
花屋の老舗というのは時代の変化について行くのが苦手な傾向があるのですが、私の会社では「不易流行を追求しながら、常に時代に添った変化をし続けなければならない。」と考え、老舗とベンチャーのハイブリットを目指し、伝統や歴史を尊重しつつ、新しい事にガンガン挑戦しています。


高校生活はサッカー部に所属し親元を離れ3年間寮生活を過ごさせていただきました。
高校生活の感想は正直「辛かった!」につきます。規律正しい寮生活、部活の練習、先輩後輩の人間関係、ゼロに近いプライベートな時間等。もちろん辛いと思う局面は人によっても異なるでしょうし、在学生の環境も時代と共に変化していると思います。しかし今の私にとって厳しかった高校生活は無くてはならない経験となっています。
高校を卒業後、東京の大学に進学をしました。サッカーからは一端はなれ、ラクロスというスポーツを始めました。新たなラクロスという分野に真剣に打ち込み、日本代表候補にも選出されるようにもなりました。卒業後に地元岡山に戻り、岡山青年会議所(20歳から40歳までの青年経済人が集う公益社団法人)に13年間所属させていただき、多くの事を学びました。その岡山青年会議所の活動の中でも作陽高校や大学で一つのことに懸命に取り組んだという経験のおかげで、2012年には第62代理事長も務めさせていただきました。


作陽高校での経験が人生の大きな節目となり、社会人としての基礎を培うことができ、私を大きく変えてくれたと思っています。
辛い事、厳しい事と向き合うと大変ですよね。そりゃ大変です。大きく変わるから大変なのですから。でも、その大きな変化を乗り越えると必ず成長が待っているのです。大きく変われるのです。



私はこの先も高校生活での経験を生かし、変化する事を恐れずに成長し続けていきたいと考えています。どうか在校生の皆さんも変化を恐れず、大変と感じられる高校生活を大切に過ごしてください。

#2

みなさんお元気ですか?私は2009年卒の山部晃と申します。

今私は,岡山県立笠岡高等学校に勤務しています。つまり,私の仕事は高校教師です。

 皆さんは「教師」と聞くと,どんなイメージをもつでしょうか。「忙しそう…,楽しくなさそう…,なんか堅そう…」と高校生のみなさんは,いろいろなイメージをもっていると思います。私もそうでした。しかし実際に働いてみて感じたことは,イメージ通りの部分(ほんの少し)もあるけれど,とてもやりがいのある仕事だということです。

 私の働いている笠岡高校は,今年度で創立116年目を迎える,歴史と伝統のある学校です。古くから「千鳥」の愛称で知られ,岡山県南西部の普通科拠点校として地域の期待や信頼に応えつつ,25,000人に及ぶ人材を世に送り出しています。その卒業生は社会のさまざまな分野で広く活躍しています。私は保健体育科の教師として,全校生徒580名と共に日々生活しています。私の主な仕事は,もちろん授業です。体育と保健の授業を担当しており,生徒の心身の健康について座学や運動を通して教えています。教員は授業だけが仕事だと思っている人も少なくないはずです。しかし,実際の仕事は授業以外にも多くあります。よりよい授業を展開するための授業準備や,学校を教員一人ひとりで支えあって作り上げている校務分掌としての仕事,部活動顧問としての指導・試合の引率など,私が高校生の時には知らなかった仕事を毎日周りの先生方に助けられながらこなしています。

 以前,生徒に保健の授業についてのアンケートをとったことがありました。その時,ある生徒のアンケートの自由記述欄に「先生の授業は面白くてわかりやすいけど,どこが大事なのかわかりません」と書いてありました。ハッとしました。私は,作陽高校での教育実習時に学んだ『今,高校生に何を伝えたいのか』ということを疎かにし,楽しさやわかりやすさのみを重視した授業を行っていました。私にとっては数ある授業のうちの一回でも,生徒にとってはそこを学ぶ人生で唯一の機会だったかもしれないのです。興味や関心をひくために楽しさも必要ですが,それだけでは本当に伝えたいことは伝わりません。それにまず私には,教師は生徒の人生を左右する職業だという自覚自体が足りなかったことに気付かされたのです。私はそれ以来,一回の授業をより大切にし,高校生のこの時期になぜ保健を学ぶのかを,常に自問自答しながら準備を進めるようになりました。半年後,その生徒の二回目のアンケートには「前より保健を今後の生活に生かせそうです」と書いてありました。


私は,この職業に就くまで,教師は子供に勉強を教えることが仕事で,そこにやりがいを感じているものだと思っていました。ところがそれだけではありませんでした。現在の私は,「目標に向け努力する生徒と共に成長できること」,「青春の苦楽を共にできること」,「一人の人間を育てられること」にやりがいがあるのだと実感しています。忙しくて遅くまで帰れない日もあります。授業がうまくいかないときもあります。でも生徒が待っていると思うと,どんなに辛くても自然とやる気が出てきます。今では,生徒の人生に関われるこの職業にとても誇りを感じています。

2017年10月5日木曜日

#1

みなさんお元気ですか?私は2007年卒の村井と申します。

今私はキリンビールに勤めています。私の仕事は、一人でも多くのお客様にキリンビールの商品を飲んでいただける環境作りをすることです。

現在は、東京支社に在籍し、日本でも有数の飲食街である上野駅周辺で営業をしています。そのエリアにはアメ横通り、上野動物園など観光名所としても朝から晩まで賑わっている街でもあります。私が行なったこの地域ならではの営業エピソードをお話しします。

上野駅は昔から“北の玄関口”と言われ、東北地方と深いつながりを築いています。ご存知の通り2011年に東日本大震災がありました。その被災から復興のために頑張っている東北地域に、少しでも貢献できないかと担当エリアの方々と話し合い、東北復興オリジナルドリンクという企画商品を考案しました。その企画商品を上野駅周辺の飲食店に提案し、多くの飲食店で取り扱いが決まりました。そしてその商品の売上の一部を東北復興の寄付金として被災地に贈呈させていただきました。キリンビールの商品を通じて、地域に根付き、社会に微力ながら貢献できていることに、誇りを感じています。

一方で、私がしている営業という仕事は、どんな会社に勤めていても辛いことも多くあります。どれだけ商品や企画が良くても、契約できるわけではありません。いきなりお店に飛び込んでいっても、お店のオーナーに話を聞いてもらえません。まず自分が信用してもらえるよう頻繁に足を運び、自分を売り込んでいかないと話は次に進みません。そんな時に、『村井さんは、今まで何してきたの?』『ずっとサッカーをしてきました。』『へー。どこでサッカーしてきたの?』『高校は岡山県の作陽高校でしてました。』『っえ?作陽ってあの作陽?すげー!』と作陽の名前を出した時に、一気に興味を抱いてくれる瞬間があります。その度に、作陽高校の卒業生でよかった、と切実に思います。

作陽ブランドは、諸先輩方が築き上げてくれた財産です。そのブランドを生かすも殺すも、今在学している皆さんが作っていくものです。

5年後、10年後、誰が聞いても、誰もが知ってる作陽高校にしていただきたいです。もっともっと日常生活の中に作陽高校の話題が自然に出てくるようなそんな高校になってもらいたいと思います。

現役高校生へのメッセージ

作陽高校のOB・OGの社会人としての活躍を語ってもらうブログです。
どんどん更新していきます。お楽しみに!!!